ひめゆりの塔に行った感想

ひめゆりの塔行って思うことは、今後同じことを起こさないためにはどうすればいいのか?(※)なんだけど、地上戦で20万人死ぬ、みたいなのは今後起こらないのでは、と思う(起こらないでほしいという願望も込めて)

実際、"戦争一覧 – Wikipedia“を見ても、近年の戦争でそこまで死傷者出てるのはない。イラク戦争 – Wikipediaはかなりの数だがこちらは7年で約5万人の死者(民間人は諸説あるが10万~50万)、沖縄戦はたった3か月で20万人である。

理由を考えると、昔みたいに地上戦でやりあわなくても、もっと賢く相手を負かすことが出来るようになった、というのがある。例えばステルス機によるリーダー爆殺だったり、補給路を止めたりする。相手の軍隊を1万人殺すより、首都の電源を止めた方が相手は困るわけで。つまり、相手を困らせて"やめてくれ"と言わせる方法はいくらでもあるし、その方法も確立されてきた。

2点目。人々の意識も変わってきて、軍隊だから殉職してもおkではなく、軍隊だけど出来れば死にたくない、無駄死にはしたくない、というマインドがあるのでは?と思う。これは楽観論だが、軍隊式の教育を受けていたとしても、インターネットからいろんな価値観を得て、世界の価値がフラット化すると「国のために死ぬ」という価値観はおかしいと気づくはず。兵士本人がその気がなくても、兵士の家族はそういう価値観であるため、無駄死にさせたとなると遺族賠償とか大変なことになると思う

以上の2点の理由より、地上戦で血みどろの戦いをするより、もっとスマートに相手を倒すことが近代戦闘で重要かと思う。よって戦争は今後も起こると思うが、戦争による大量死亡は少なくなると思う。

さて、ここで考えたことが2つ。

「戦争反対」は何に反対?

前述の通り、兵士が死にまくり、民間人が巻き込まれまくる"戦争"は今後少なくなってくると思う。「戦争反対」の"戦争"のイメージはそれだし、確かにそれ(人間死にまくり)は僕も嫌なのだが、では、上層部同士であっさり決着がつく"戦争"はどうなのか?と考えると"戦争"というのが良く分からなくなってきた。僕個人は人が死ぬのは嫌だし"戦争"にも反対だが、"交渉"は必要だと思っている。その"交渉"がどのレベルを超えると"戦争"に近くなるのか、正直良く分かっていない。今度右寄りの友達に聞いてみようかな。

日本は大丈夫?

前述の通り、現代で他国と争うとなると、よりクレバーで合理的な考えが必要となる。昔も、アメリカの空爆機に対して竹やり訓練をするなんて笑い話(笑えないが)があったが、現代はさらにそれが加速されており、末端の兵士や民間人が何十万人いても最新のステルス戦闘機に勝てるわけがない。

それと同じで、近代の新手の攻撃、ネットワーククラッキングや電磁パルス、データ盗聴など、高次元の攻撃に対して民間人は無力である。よって国が組織的にクレバーな対策を立て、労働集約ではなく少数精鋭で対抗していかなければならない。

そこで不安になるのが、7ペイの事件である。

セブンペイ、抱えていた「不発弾」の代償:日経ビジネス電子版

「ITに対する理解度の差が、そのまま経営に反映される時代に入っていることにセブン&アイの経営陣は気付いていただろうか。」という一文が妙に胸に刺さったのだが、日本の上層部はIT(ならびに高度な戦争技術)が、そのまま戦力に反映される時代になっていると気づいているのか、ということ。

現場の頑張っているであろう自衛隊員の方がどれだけ優秀でも、後方司令部がしっかりしていないと意味がない。これだけが不安に感じた。

※仮に血みどろの地上戦になってもできるだけ死傷者を出さないためにはどうすればいいかも考えたが、現場レベルで言うとドライに早期降伏するしかないと思った。それより前、負けが見えた時点で降伏すべきだが、それが出来なかったのは失敗の本質というのに書いてある。こういうのを考えていると、国民全員がナチスを信じてしまったドイツで、どういう再発防止策をしているのかに興味を持った