「ブラウザゲーム」というネーミングからゲームの将来を妄想する

久しぶりに2chに行ってみると人狼BBSの本スレが「ブラウザゲーム板」に移動されてました。このブラウザゲームって名称、うまいと思った。

そもそも人狼BBSを「ネットゲーム」って呼ぶのは違和感があった。「ネットゲーム」っつーと

・Win専用
・PCのスペック必要
・お金かかりそう
・時間もかかりそう

というイメージ。人狼BBSってネット環境があればどこでも無料プレイできて、長くても1週間くらいで終わるからなぁ。友達に人狼BBSのことを紹介されると「それってネットゲームでしょ」と言われるんだけど、ニュアンス的にはそうじゃないんだよなぁ…と思ってたらブラウザゲームか。今度からはそう言う事にしよう。

と思ってぐぐってみたら結構出てきた。名称としても定着してるんだね。確かにShockwaveとかの面白Flashゲームもブラウザゲームになるのか。

さて、これ以降は妄想全開だけど、ブラウザゲームってこれからもっと流行ると思った。なぜなら敷居が低く手軽に遊べるから。敷居が低く手軽に遊べるってことはプレイヤーのパイがゲームをしない一般人まで広がるって事だから。例えばの話、もし人狼BBSが住所氏名クレジットカード番号の入力が必要で登録に1週間くらいかかるゲームだったら、僕人狼やってないよ。TOPページからIDとパスワード入力するだけだったから気軽に始めたのです(もちろんログは読んだけど)。

で。

この構図って今のゲーム業界の動きにそっくりそのまま当てはまる。

・どうぶつの森がなぜ売れているのか。
・XBOX360がなぜ売れないのか。
・なぜPSPよりNDSが売れているのか。

この流れを一言で言うと

高いお金を払って、長時間をかけてプレイするようなゲームは終わった

という事なんじゃないかなぁ。ゲームはしたい。けどそんなに時間はかけられない。それなら時間をかけずに(いい意味で)手軽に楽しみたい。時間をかけないなら高いお金も払いたくない、みたいな。

また僕の例を出して申し訳ないんだけど、僕はFFを10以降プレイしてません。面白いって評判は聞いてるしプレイしたいなぁとずっと思っているけど、30時間以上は確実に取られるからそれなりに時間を割かないといけないよね。未知のゲームだし面白いかも分からない。それよりは人狼BBS参加しておこうかな。人狼だったら長くても1週間で終わるから。そういう感覚。

といっても「手軽だけど楽しめる」ゲームは昔はそんなになかった。これは考えてみれば当然でゲームにかける手間と面白さは比例するものだから。だから昔は「大作は時間はかかるけど、その分面白いから仕方ないよね」で終わってた。その比例関係は、ネットワークを利用して「対人要素」を取り入れることができるようになって崩された。「対人要素」を取り入れて「手軽だけど変化があってずっと楽しめる。奥も深い」ゲームを作ることが可能になった。昔は「入り口が広くて底が浅いゲーム」か「入り口が狭くて底が深いゲーム」の二択だったのが、「入り口が広くて底も深い」ゲームを作ることが、ネットワークという手段で可能になったのだ。aikoのするめソングじゃないけどするめゲームみたいな感じね。噛めば噛むほど味が出る、みたいな。

そのヒントがDreamCupというサッカーゲーム。これ、22人同時にオンライン対戦できるんだけど、22人の能力差は全くなく全員平等の条件でプレイをする。長時間かけてキャラを育てるナムコのウイニングイレブンシリーズとは対極にあるゲームだけど、これが今年の窓の杜大賞で銅賞を取りました。

とにかく、ゲームがなんらかの形でネットワークに繋がることがデフォルトになった今、「時間をかければ面白い」という構図は崩れる。「お金と時間をかけて楽しめるゲーム」と「無料で時間をかけなくても楽しめるゲーム」があれば当然後者に流れるよね、と。

そう考えるとゲームの選択基準が変わってるんじゃないだろうか。昔は面白さが第一基準で「お金」や「時間」は二の次。面白いゲームのためなら多少お金を払っても仕方がない。けどスーパーマリオから20年が経ってユーザーの「面白さ」に対する欲求をほとんどのゲームが満たした今、「面白さ」と同じくらい「お金」と「時間」がゲームの選択基準になってきたんじゃないかと思う。ある程度の面白さが保障されているのなら、お金と時間がかからず手軽なゲームに流れるように。

もちろん「ゲームの大半が面白さの基準を満たしているなんて、ゲームの本当の面白さを分かってない人の言うことだ!」とか反論もあると思う。確かにネットワークという手段で「対人要素」を手に入れたゲームよりも、大人数のスタッフによって時間をかけて作りこまれた「大作ソフト」は面白いかもしれない。けど一般ユーザーがそのゲームを手にするかというとしないだろう。なぜなら敷居が高いから。入り口が狭いから。売れなきゃ意味ないのだ。

DQ、FF等名前の通っているシリーズは確かに売れる。けどその場合でも「FFシリーズが他のRPGより面白いから」という理由で買っている人は少ないんじゃないだろうか?「FFならみんなが買ってるし確実に面白いだろうから買っておこう」という理由ではないだろうか?FFの購入動機が後者なら近い将来FFは今のFFの形ではいられなくなると思う。なぜなら、みんながプレイしていて時間をかけずに面白さの分かるゲームに取って代わられるだろうから。

最終的にはそのポジションを取るのはブラウザゲームかもしれない。本当の意味での「お手軽さ」を考えるとゲーム機を購入してゲームをするという行為自体が敷居が高いものであって「パソコンでゲームできるのになんで専用のゲーム機買わないといけないの?」となってしまうから。ゲームはゲーム機でするもの、というのはファミコン世代の僕らの偏見であって、小さい頃からPCでゲームしてるような平成世代は自然に馴染めるだろうから。

うーん。。。書いてるうちにどんどん曲がっていくな…。

えーっと。要点としては

高いお金を払って、長時間をかけてプレイするようなゲームは終わった
なぜなら低料金・短時間で楽しめるゲームが出現しているから
それはネットワークという手段で「対人要素」をゲームに導入できたから

ということ。

こうなると何十時間もかけて大作ゲームをプレイするのはゲームマニアだけになってくるだろう。そしてほとんどのユーザーが「手軽で簡単、だけど楽しめる」ゲームをプレイするようになる。となるとメーカーもそういうゲームを発売するようになる。その結果、ユーザーのパイが広がりゲームがトランプと同じようにコミュニケーションのためのツールとなり一般的に浸透する。トランプってトランプするためにじゃなくて、人と遊ぶための道具でトランプ使うでしょ?それと同じこと。そして「ゲームに何十時間もかけるなんてバカらしい」ということになる。トランプを何十時間も練習するなんてバカらしいという風に。よって「ゲームに何十時間もかける」必要のあるゲームはニッチな市場になる。

と予想します。最後で直角に曲げてみたw。いやぁ、妄想だからさw

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