白夜行9話。

ドラマの事はあまり書かないんだけど、これだけは別。


小説を読み終わったので撮りためておいた白夜行4話~9話を一気見しました。が、これは…。終盤になるにつれて見るのが辛くなる。見るけど。二人に決して同情はしないけど、玲子の言っていた通り哀れだと思うし、白夜を歩む二人をどんな形でもいいから早く楽にしてあげたい、というのが9話の最後のシーンを見終わった正直な感想かな。

■9話の感想とか

玲子は雪穂が自首して真実を告白することで、嘘に覆われた人生から開放され素直に泣いたり笑ったりできるようになることが救いだと思ったのでしょう。そして雪穂を説得する。しかし雪穂はそれを受け入れず逆に玲子を殺そうとする。玲子が流した涙は、実の娘のように育てた雪穂に殺されるから悲しい、という事じゃなくて実の親のような自分を殺そうとするほどに堕ちてしまった雪穂に対しての悲しみや哀れみの気持ちだったんじゃないかな。そしてそんな雪穂に気づいてあげられなかった自責の念、いろんな意味があったでしょう。…9話前半の2人の話もあったしね…。やべぇ泣ける。・゜・(ノД`)・゜・。

なぜ雪穂が(実の親と違って)自分に対して優しく接し、亮司以外で唯一自分が心を開けた玲子を殺そうとするまでになってしまったのか。

3話くらいだっけな?友彦のアリバイ作りのために雪穂が亮司に死姦するように指示する場面で、亮司が

「こんな事して太陽の下歩いて幸せって言えるのかよっ!」

というシーンがあって自首の一歩手前までいくんだけど、結局自首せず白夜を歩くことを選んでしまう。あの時の2人は自首するという選択も白夜を歩くのと同じくらい「救い」だった。けど9話時点まで罪を重ねると、代償がどんなに大きくても2人で太陽の下を歩く事を「救い」として白夜を歩くしか選択肢ははないから(亮司の死でその救いの道はなくなるわけだけど…)

仮にだけど、3話時点で雪穂が「自分たちの秘密を守るために玲子を殺すかどうか」って選択を迫られたら多分殺してなかったんじゃないかな。9話で「お母さん」と呼びつつも玲子を殺す選択をする雪穂を見ると、もう戻れないんだろうなぁ…と思ってしまう。

■最終話に向けて

10話、最終話では亮司が死んだ後の雪穂の人生が描かれるみたい。ドラマ終盤のキーワード、

「本当の罰は心と記憶に下される」

この通りなら、生き残った雪穂に救いは訪れないだろうし、救われるような結末にするべきではないと思う。8話までは2人に対して同情し応援する感情があったけど、9話の後はほぼ消えた。

1話で笹垣の台詞。

「一つ嘘をついたらな、どんどん嘘つかなあかんようになんねん。
そんな人生に未来なんてあらへん。
お天道さんの下歩かれへんようになる。」

この通りに、雪穂がどう足掻いても白夜から抜け出せず太陽の下を歩けない、というのが結末にふさわしいと思う。

雪穂が救われないとすれば、どういう形で罰を受けるのだろうか?とあるブログでは「雪穂に天罰をっ!」と書いていたけど、そういう分かりやすい形の「罰」ではないだろうな。亮司が死んだ今、警察に捕まって罪を告白し「嘘に覆われた人生から開放される」事(玲子も言っていた事)が雪穂に残された救いの道。それを許されずに、「心と記憶に罰を下」され永遠の白夜を一人で歩くことが雪穂にふさわしい罰なのかなぁと。

そういういう結末を期待するなぁ。噂話では亮司の子供がうんちゃら…とか言ってますがそんな萎える展開はなし。ま、最終話で製作者が提示する「ドラマとしての白夜行の結末」を楽しみにしようと思います。

※1
玲子殺害のシーンは視聴者に対する救いなのかな、と。原作では「新規開店で忙しい(=自分の成功、金目当て)から」という動機だけどそれじゃあまりに雪穂が悪徳過ぎる。「玲子殺害」という結果は同じでも、その過程にある葛藤を見せることで亮司を思う雪穂の人間性を確保したと思います。原作は前半は兎も角、後半の雪穂は自分の利益のためなら手段を選ばないような女、と読み取ることもできますから。ドラマでは最後まで「亮司の存在が唯一の救い」というスタンスで進むみたいだし、そうあってほしい。

※2
公式サイトの原作BBSに書き込んでいる「ひがしのり~」さんの考察が非常に的確で筋が通っている。彼は「雪穂は亮司を愛していなかった」派なのだけど、「愛していた派」の僕も納得の論理。所詮雪穂と亮司が愛し合っていたというのは読者の幻想なのかもしれない。

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