新潟地震とブログ界の自粛モード他多数

ま、ネガティブ系の内容なので。

新潟地震から4日経って、いろんな事がいろんなところで言われているけど
僕はこの事をブログに書く気にはならなかった。
っつーのは僕がここで
「地震の被害が大変そうですね。新潟のみなさん、がんばって下さい」
などと言っても新潟の皆さんには届かないし
そんなこと誰でも思っていることなので、書くだけムダだと考えたからである。
もちろん新潟の方や新潟に親類が居る方、新潟の人を助けたいと思う方は現地に行って手伝ったり、ブログを立ち上げて情報を集めたりと、自分の時間を割いたかかわり方があると思うが、僕みたいに新潟に特別かかわりのない一般市民が、個人で新潟の人の役に立つこと。それは唯一カネを送ることであると思う。ということで、ちょっとくらい募金をするかもしれない。ま、一応阪神・淡路大震災の体験者なので。

で、僕の中での新潟地震はこれだけで終わるはずだったのですが
そうは世の中の流れが許さず、新潟地震を通じていろいろなことを考えされられてしまったので、理系っぽく箇条書きにまとめよう。

■募金とか
お金もいいけど、僕みたいにスキー・ボードで新潟県にお世話になってる人は、宿泊先のホテル・民宿にちょっとしたお土産でも持っていくと喜ばれるんじゃないかな。と偽善者的な意見を言ってみたw

■ボランティアについて
上の方で現地に行って手伝うと書いたけど、余震の続いている今行っても逆効果。だって震度5クラスの地震が起こってる中で、復興なんてできないでしょ。逆にみんながこの事件を忘れる1ヶ月後くらいにボランティアに行ってあげると、そりゃあ現地の人には喜ばれるだろうよ。

■報道関係について
予想されたとおりの2次被害が発生中らしい。
詳しくはTB先の
Irregular Expressionテレビ局は先ず被災地に取材謝礼を払え
を読んでもらえれば分かります。僕が思ってたことを分かりやすく文字にしています(一部引用させてもらいました)。
で、問題は報道関係者が
(視聴率が上がると思って)確信犯的にこういう報道を行っているのか
正義感でみんなが知りたがってると思って報道してるのか、ということである。

上記の場合、まぁ理解できる。
しかしいつまでも同じ手法で数字は取れないのでテレビ局にはちょっと頭を使っていただきたい。例えば

 1.テレビ局が独自に孤立してる町に行って情報収集
 2.支援物資の窓口になって独自に食傷が足りない町に配り歩く
 3.ついでにその様子を中継する。

こんな番組どうでしょう?それなら他の局を出し抜けるし、人の役にも立つし、視聴者の好感度もアップして一石三鳥!つーかすごいいいアイディアじゃん!
え、危険だって?できるでしょ。報道のためなら何でもするんだから。

そうはならず、各局横並びで被災地から生中継オンリーとは
さすが報道の自由第42位の国ってとこですか。

逆に正義感を持ってやってる場合は怖いなぁ。
そこまで報道関係者の感覚は一般人と離れていたらどうしようもありません。
ちなみに、こういう時に自分が比較的信頼しているのはラジオだったりする。比較的ね。

■ブログ界も自粛モード?
それより僕が気になるのは、新潟地震によるブログ界の「自粛モード」だ。
いつものブログが妙に神妙な書き出しで新潟地震の事を書いたり
更新頻度が落ちていたりするのは僕の気のせいだけではないと思う。
(うちのブログがまさにそうだ。)

ここら辺の思考は

新潟地震発生⇒世の中が自粛ムード
⇒こんな時にいつもの調子でブログ更新すると、無神経な人間と思われる
⇒自分としても、更新するのに気分が乗らない
⇒更新停止or新潟地震関連エントリー

という連鎖的思考になっているのかなぁ。

・対外的要因
上記の「こんな時に~」というのは災害次に企業がCMを自粛するのと同じく
自分は更新したいんだけど、人の目を気にして更新できない、というものである。
ここで1つの疑問があるのだけど、
災害時に企業がCMを流してるのを見て、不快に思う人のうち

能天気なCMを見て不快に思う人がいるだろう⇒だから自分も不快だ

という発想の人が多いのではないだろうか?
これも自分の事なのだけど、
理性的にはそんなことを思っても意味がないと思うのに
感情的には上記のように思ってしまう。
(一言で言うと不謹慎と感じてしまう。)
その理由は分からないが、大多数の人がそう感じてしまうのであるとすると、本当の意味で自分自身が不快と感じている人は少ないのではないだろうか?
ま、もしそうだとしても「人が不快に思うだろうから自分も不快」という感情がなくならない限りなんの解決にもならないし、逆に言うとそれが「人の気持ちを分かってあげられる人」なのかもしれないが。

・対自分的要因
次に対外的要因とは反対に自分自身の意思でブログを更新しない場合(以下「自粛モード」)はどうだろうか?
ここで例を上げると、飛行機の墜落事故があって多くの人が亡くなった場合でも個人単位で自粛ムードに入る人は少ないかと思う。というのは飛行機事故は過ぎたことであり、今の自分にはどうにもならないからだ。
しかし、今回の地震の場合だと
「ああ、世の中には新潟にボランティアに行ってる人もいるのに
俺はブログなんて書いてていいのだろうか」

(※実際にボランティアには行かないくせに)
という罪悪感に似た感情に陥り、せめて自分は「自粛モード」でいよう、となってしまうのである。もちろん自分が「自粛モード」になることで新潟の人が助かるわけでもなく、まるっきりムダなことである。だが、理論的にはムダと分かっていても、多くの人が「自粛ムード」になることを否定できないだろうし、理系人間の僕でもそうだ。まぁ普通に育った人なら、そういう感情を持ってしまうのだろう。それを「余計な足かせ」と感じるのか「心の豊かさ」と感じるのかは人それぞれです。

・・・と、最後はぐだぐだになりながら書いたけど
自分の考えがまとめられて、だいぶすっきりしました。
もしよかったらコメント下さい。(※)

※マーフィーの法則@ブログ界Verより
「コメント下さい、と書いたエントリーに対してコメントは付かない」

(10/28 23:08 追記)
読み返してみると、あまりにもまとまってないエントリーですね。
つまりなんだ、まとめると新潟地震を取り巻く周り(報道機関)の無神経さよりも
地震に対する無力さや、やるせない気持ちが上記のような皮肉っぽくて不完全燃焼なエントリーを書いちまったということで。
ほんとは、新潟の人には災害に負けずに元の生活を取り戻してほしい、とと祈ってます。