シークレットバトンの恐るべき仕組みとか。

mixi内の話なのだけれど、時々あるシークレットマイミクバトン。これって好きではない。「何で?」と言われると理論的な説明ができないんだけど、いい感じはしない。

知らない人のために説明すると、mixiでは「バトン」という質問集、例えば「あなたが好きな食べ物と嫌いな食べ物」(実際こんな盛り上がらない質問はないけど)が回ってくる事があり、それに自分が回答してまた違う人に回す…という文化がある(ちなみにGREEにはない)。シークレットマイミクバトンというのは、バトンはバトンだけど質問が隠されていて回答だけが日記に書いてある。なのでぱっと見何のことだか分からない。質問を知りたければ回答者にメールをすれば教えてくれるけど、その代わり自分も必ず答えないといけないというもの。

秘密を共有するのは楽しいしシークレットな分踏み込んだ質問が多いので普通のバトンより楽しかったりするけれども、その一方で「人のことを隠れてこそこそ言うなんて陰湿」とかとか「秘密を共有していることを(日記で)公開するのは嫌らしい」いう批判もあったりでこんな人まで出てきちゃったり。けど僕の持つ「好きではない」感覚は、上記のような感情じゃなくてもっと別種の物なんだよな~と思って仕事中にふらふら考えていると答えが見えてきた。

まず「隠れてこそこそ」とかはどーでもいい。そもそもシークレットなんて銘打っているけど、回答者に連絡すれば誰でも質問を教えてもらえる時点でシークレットでもなんでもないんだよね。「秘密にしている事実を公開したい」っていうのもまぁ分かる。それよか、「知りたかったらメール送ればいいじゃん。制限ないんだし。その代わり質問には答えてもらうけどね」。ここが嫌らしいだと思った。

具体的には
・「誰でも質問を知れる」っていうのを盾にして、「隠れてこそこそしてるのではない」と自己弁護を図っている。
・質問を知ったら必ず回答しなければいけない。
のが嫌なのかな…。うーん、前者はそれほどでもないなぁ。後者は引っかかる部分があるのでもうちょっと考える。


…考えた。
・質問を知ったら必ず回答しなければいけない。
これはシークレットバトンでは当然の制約である。質問だけ聞いて回答しないんじゃ成り立たないからね。マイミクに直接質問を聞いている以上、答えなければ相手に分かるから答えざるを得ない。とはいえ答え辛かったり回答したくない質問もあるかもしれない。
そうはさせないのが「相手の秘密を教えてもらった」という弱み。質問を知るということは相手の回答の中身が分かる=相手の秘密を知るということ。となると「私の秘密を教えたんだからあなたの秘密も"当然"教えるべきでしょ」というのがあるし、それ以前に「相手の秘密を教えてもらったから自分の秘密も"当然"教えるべきだ」となってしまう。気持ち的なものではなく「相手にお願いして相手の大切なもの(秘密)を教えてもらった」ことで立場的に弱くなり、自分も相手にリターン(自分の秘密)を返さざるをえない状況にするのがシークレットバトンのうまいところである。

が、ここで違和感。確かに相手の秘密に興味を持って知りたがったのは自分。けど事の発端、自分が相手の秘密を知りたくなった要因はシークレットバトンの回答を公開した相手だということ。

うーん。。。だんだん分かってきたなぁ。

マイミクがシークレットバトンに回答している日記を見る。回答しか載っていないのでどうしても質問が気になる。質問を教えてもらうと今度は自分が回答しなければいけない。それを前提で質問を教えてもらったし、同時に相手の回答の意味も知ってしまっているので自分もシークレットバトンに回答する。もちろん「仲間に混ざりたい」とか「みんなと秘密を共有したい」という感情もあると思うけれど、それは普通の秘密遊びでも同じ。最初の2つがシークレットバトンの循環の肝である。

はっきり言って日記に回答だけ書いてあってコメント欄でバトンの話で盛り上がられたら興味持ってしまうに決まってる。それの上で「質問を知りたければ必ず回答することを条件に教えるよ」と言うと、自分の欲求を解消するためには相手に質問を教えてもらうしかない。例えて言うならピンサロで手足縛られた状態で寸止めされて「イカせて欲しけりゃ5万円払え」と言われているのと同じである。下ネタだけど…。

…まぁそれはともかく、質問の内容が分からないものに対して「必ず回答する」と約束させること自体が理不尽なのである。が、「自分が興味を持ってしまったから仕方ない」という負い目と「相手の秘密を自分がお願いして教えてもらった」という立場の弱さがその理不尽さを見事に脱臭している。始まりは相手に興味を「持たされる」ところからなんだけど、いつの間にか自発的にバトンの循環に参加してしまうのである。

ここまで考えて、自分はシークレットバトンをする行為ではなく、そのサイクルに参加するのがが嫌なのだと分かった。といっても「嫌」というのはこのサイクルに釣られるのが嫌という天邪鬼的なもので、シークレットバトンのシステムは非常に良く出来ていると思う。…皮肉ではなく。

シークレットバトンはバトンの回答を見た人にサイクルに参加させる作用があるという点ではチェーンメールや不幸の手紙と同じである。けどメールや手紙というプッシュ型ではなく日記というプル型の媒体で相手の興味を利用して循環させてしまうのが今までのものと一番違う点である。と考えると他の分野でもこの「シークレットバトン的手法」は使えるかもしれない。相手に興味を抱かせてその解決方法を自分が保持しておく。解決の代償として相手に対価を求める。興味の持たせ方と解決方法のセットは工夫しないといけないけどね。

…うわぁ。強引な締めw

※1 けど最初にシークレットバトンを始めた人って絶対ここまで考えてないよなぁ。
※2 ほとんどの人はここまで考えずにシークレットバトンやってるんだろうなぁ。